神奈川県伊勢原市

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被災地支援事前調査(2011/4/22 - 25)
被災地支援の事前調査のために遠野を基点に岩手県沿岸被災地を訪ねた。遠野のまごころネットとの連携確認、後方支援の実際、交通事情やボランティア受け入れ状況、被災現場の状況、ボランティア活動の実際などの調査が目的だ。4月22日(金)22時過ぎに出発し、25日(月)に宮城県、福島県の一部を視察して帰路についた。伊勢原から新たなそして息の長い活動を展開していきたいと思います。
作成者: 山口 寿則作成日: 2011-05-05 23:05:44


大船渡市 被災した地域にも満開の桜が。

支援活動を本格化させるための被災地の組織との繋がりを築こうと、被災地の現状を視察してきた。被災地のあまりに悲惨な状況に心が震え、一方で負けないぞとがんばる人々との新たな出会いに救われた思いがしている。

いよいよ「遠野物語 in いせはら」が本格的に始動する。



遠野まごころネットが入る遠野市総合福祉センター

■ 遠野到着
午前6時流通センター長の浅見氏が衛生資材を持参して駆けつける。資材を積んで花巻経由で釜石道に入り遠野市に到着。遠野にはまったく被害の形跡はない。

午前9時遠野市総合福祉センター内遠野社会福祉協議会着。遠野まごころネットも同センター内に開設されている。遠野まごころネット代表の佐藤氏、荒川副代表と打ち合わせ、今後の支援策について協力関係を築いていくことで合意。詳細については担当者レベルでメールなど利用して協議をしていくことを確認。

会談中神戸の「被災地NGO協働センター」の村井氏から入電、遠野に着いたか、責任者と会えたか心配されてのこと。気配りに感謝。

まごころネットには多くのボランティアが集結している。かつて山口が神戸で出会った活動団体も参加している。あいにくの天気のため被災地での泥だし片付けなどの活動はできず、1班2名のみが現地に入っているとのこと。

われわれはいよいよ被災地釜石市に移動する。



釜石市内商店街の様子

■ 釜石市到着
遠野から釜石までは約40km、1時間弱の移動時間である。道路は一部ひび割れの補修個所が見受けられるものの通行には障害はない。すれ違う車両には自衛隊、警察関係のものが目立つ。釜石市内に入っても建物の倒壊やがれきは見受けられない。

釜石駅を過ぎ港に近づいたとき道路わきのがれきが目立ち始める。港から1〜1.5 kmあたりだろうか住宅街に入ると建物の倒壊やがれきの山が目に飛び込んできた。報道で目にしてはいたものの余りの状況に言葉を失う。撮影をし、港方面に移動する。

港では津波映像で見た損傷したグリーン色のクレーン、埠頭に乗り上げた貨物船、壊れた大型トラック、港湾施設が雨の中にたたずんでいる。被災後、土曜日、雨、原因は不明だが住宅地にも港にも人影は少ない。釜石で地震による被害はほとんどなく、津波によるものがほぼ100%。浸水していない地区での被害はほとんど見受けられない。

■ 釜石市の友人
市内で薬局を5店舗経営する山口の友人を訪ねる。幸いにして彼の店舗はすべて被害を免れている。彼は薬剤師会の災害担当として忙しく活動している。元気そうな様子に安心した。彼の母親も同席してしばらく歓談する。母親は伊勢原市の出身。



大槌町の被災地 火災も発生

■ 大槌町に入る
友人の薬局を後に大槌町に向かう。海岸沿いの道路は一部崩壊し緊急補修が行われ、どうにか通行が可能になっている。途中、10mの防波堤があっけなく崩壊している現場を通る。圧倒的な津波のすさまじさを実感する。

町に入ると一面瓦礫と焼け野原となった現場に着く。なんと建物が屋根を下にして転がっている。雨の中、重機の音と車両の走行音だけが聞こえる。自衛隊が作業し警察官が立ち会っている。いまだに遺体の捜索が行われているのだろう。

大槌町から釜石に帰る途上、堤防の内側で全ての家屋が流された現場を見る。なんと悲惨なことだろうか!現実を目の当たりにすると涙も出ない・・・

■ 遠野にて宿営
16時過ぎ、遠野にもどり「まごころネット」に顔を出す。伊勢原の數井さんからTシャツ及び「まけないぞう」をチャリティーマーケットで委託販売できないか、と相談があり交渉をする。24日までに答えを出すとのこと。

雨で現場での作業はなくボランティアとの情報交換もほぼ終わり、前日から寝ていないので睡魔に襲われる。行動はこのぐらいにして早めの夕食と宿営地を探して移動を開始。ビールとワンカップ、つまみを少々買い自衛隊が宿営地としている早瀬川河川敷に駐車スペースを確保。夕食、晩酌をし、激しい雨で朝までに増水しないことを祈りつつ19時ころには就寝した。明け方少し前、余震で目をさますもすぐに収まり午前5時には起床し朝食準備に入る。

■ 遠野まごころネット
まごころネットで課題としていたTシャツの委託販売についてOKの返事があり100着を受け取る。本日のボランティアの活動は雨による増水、大潮の関係で沿岸部の浸水が予想され、地盤が緩んで土砂災害の危険があるとのことで一切を中止するとのこと。ヒマになってしまった我々は何か活動がないかと釜石に向かうこととする。



被災した家、取り壊しが決まり必要なものを取り出す

■ 再び釜石に入って 被災した家での片付け
ボラセンに顔を出し何か出来ますかと尋ねる。ちょうど2人ぐらい欲しいとの連絡があり社協の職員2名と現場に向かう。後でわかったことだが、一人は社協の事務局長さんだった。聞けば社協の次長さんの家も流されたとか、局長さんの家は高台にあるが堤防の決壊でしばらく道路がなく大変だったとのこと。おしゃべりな女子職員を含めた4人で釜石から大槌町に向かう途中の鵜住居地区の民家に向かう。

「津波で避難して帰ってみたら背の高さまで床上浸水、よそから運ばれた瓦礫で家の周りは埋め尽くされいる。すぐ裏に見える瓦屋根の家はずっと向こうから津波が運んできたことを知る。修理もできないし姪の家が宮古にあるからそこで生活すると聴く。「ここは取り壊すことにしたんでほんとに必要なものだけ出したい」とのこと。本当に運命とはいえ隣の家は被害にあっていない。「うちまで津波が来たんだ。隣のブロック塀で津波が止まったのよ」お菓子屋を営む古谷さんという70代のおばちゃん。

併設するお菓子屋(製造販売)さんの中からも、「これは避難所で使えるでしょ」と料理器具を運び出し「社協さん使ってください」と提供してくれた。片付けるうち和菓子の「らくがん」が出てきた。「包装はよごれているが中身は大丈夫そうだからみんなで食べよう。リンゴも40日経ってるけど食べられそうだよ。」手伝いの姪のおばちゃんも含めみなでおいしくいただく。

許可をいただき写真も撮影をとる。きれいにとってねとのことだったけど帽子とマスクをしたままで撮ってしまいました。ゴメンナサイ。

隣では自衛隊が重機を使って瓦礫の撤去作業をしている。遺体がある可能性もあり4人ほどの隊員が見守りながらの作業である。聞けば釜石市ではいまだに600人以上が不明のままとのことである。作業は2時間ほどで終了しボラセンに戻る。

■ 昼食
ボラセンで次の作業待ちをする間、昼食をすることとした。カップラーメン、アルファ米を使ったインスタント五目ごはんなどがお湯とともに用意されている。担当のボランティアは昨日からきている20代の女性。聞けば北上市からで釜石の前は陸前高田に1週間いたが、トイレの状況がひどくてほんとに困ったとのこと。

町はほんとに何もなくなって更地になってる。ほんとにひどくて・・と絶句していた。昼食をすませ待ちの状態のとき遠野から入電!チャリティーマーケットについて聞きたいことがあり、できれば遠野に戻ってほしいとボランティア参加しているJAICAの田中氏と若いボランティア達からの要請。再び遠野に戻ることとした。

■ 再び遠野へ
再びの遠野そして「遠野物語inいせはら」が始まる。まごころネットでは4人の若いボランティアと打ち合わせを行う。チャリティーマーケットの企画の中で遠野から発信できることを探したい。協働の関係を築き長くつながれればいいね。チャリティーマーケットにとどまらず協働で長いスパンで活動していくことを確認する。これこそ「遠野物語inいせはら」の始まりとなる。

打ち合わせも終わり早めの夕食をラーメン屋「宝介」にてとる。遠野での外食や物資の調達はほぼ問題ない。ガソリンも沿岸部はやや価格が高いが、遠野では岩手・宮城県内の他地区とほぼ同じである。少しのお酒とつまみを調達し、昨夜の宿営地に向かう。

昨夜と違い雨もあがり、多少の雲はあるものの星空が見える。町の照明が少ないためか星の数が多く望める。明日の帰路を相談しながら今夜はなかなか眠れない。被災地のすさまじい有様が目に浮かび可能な限り帰路にも目に焼き付けておこうと沿岸部を南下することにした。



道路の瓦礫は片付けられている 大船渡市

■ 大船渡に入る
朝、4時半から行動開始、大船渡市へ。最終日、コンビニで朝食を調達しそのまま住田町経由で大船渡市に向かう。

6時30分大船渡市の被災地に着く。港付近はここも壊滅的な風景が広がっている。魚の腐臭が漂い地盤沈下の影響とみられる浸水箇所が目立つ。にぎわっていたであろう港の近くの商業地を移動。

突然、山口の同業の店の看板を発見。建物は残っているが1階部分は全滅、2階部分にある看板も壊れている。浸水がひどい部分は通行止めになっていて進むことはできない。ここにも自衛隊車両、隊員が目立つ。今日明日各地で一斉捜索が行われるとのこと。瓦礫に埋もれた線路わきの桜が満開になっている。被災地にも遅い春が来ている。



陸前高田の風景

■ 本当に何もなくなった陸前高田
大船渡から陸前高田へ向かうが海沿いの道は損傷が激しく山側からのルートのみが通行できる。市街地へ下る途上一望できる場所がある。見える範囲に5階建てのマンションがあるのみでそのほかは瓦礫も流されたか、すでに片付けられたか一面何もない。壊滅的な被害とマスコミが伝えていた通りの風景が広がっている。

自衛隊の一団がこれからの捜索に向けてブリーフィングを行っている。これまで見てきたどの現場よりもさっぱり何もないことで余計に悲惨さを感じ、しばしたたずんでしまった。気持ちを振り切って気仙沼に移動を開始。川に架かる橋も流されたままでここも山越えの経路をたどる。



気仙沼港 陸に巨大な船が

■ 巨大な船が陸地に、気仙沼市
2004年2月に木材産業の可能性について住田町を視察したおり訪ねた気仙沼港。きれいな海と活気に満ちた港町はどうなってしまったのか。

山を越え港に入ると想像していた通りここも瓦礫の山。マグロ船であろうか巨大な船が陸に鎮座している。倒壊を防ぐ処置か鉄骨が溶接されている。かつて土産を購入したおさかなセンターは1階部分の被害が見える。

「男山」という老舗の造り酒屋の本店は1階部分がつぶれている。港は違ってもニオイと風景は瓦礫の風景と化し同じように映る。心が萎え写真を撮ることができなくなってきた。南三陸、女川経由で石巻を目指そうとしたがパスして石巻に向かうこととした。



石巻港 パトカーの後ろは津波に被災した大型トラック

■ 石巻に入る
高速を降りた場所は工業団地の入り口であった。信号の角に被災したパチンコ店がある。復旧作業をする作業員が忙しく働いている。しばらく行くとかつて食したことのある、かまぼこ工場の看板。震災後に操業できなくなっている旨のメールが来ていたことを思い出した。

工業団地にも船が打ち上げられ、道路わきには避難が間に合わなかったと思われるトレーラーやトラックが無残な姿で止まったままだ。川沿いではここでも自衛隊による大規模な一斉捜索が行われている。



仙台市若林区の被災の様子

■ 仙台へ
同行した三瓶氏の親戚がおられる仙台市太白区へ向かう。高速道路は50km規制が行われ、段差ありの看板が目立つ。東北道と同様に三陸道にも亀裂や段差のある個所が多い。

太白区へ向かう途上若林区の状況が見える。海岸の松林が望めるが米どころの田んぼが広がる平野は泥の海と化している。三瓶氏の親類宅に到着し昼食をいただく。聞けば最初の地震で住宅にかなりの被害が出た。屋根瓦が損壊し壁の一部が崩落や亀裂で修理が必要な状態になった。屋根は業者に依頼したが込み合っていてまだ先になるとのこと。自分でできるところは修理したが4月7日の余震でまた被害が出た。いまだに余震は多くいつも緊張を強いられるとのこと。

友人、知人は家が流されたなどの被害を受けていて自分の家は軽微な被害ですんだのだからと自らに言い聞かせているとのこと。

■ 郡山からいわき市、日立市を経て帰宅
三瓶氏の出身地、郡山市三春を目指す。山里の満開の桜にあふれた三瓶氏の実家、母屋に異常はないものの蔵にはかなりの被害が見える。庭先のビニールハウスには稲の苗。放射能の影響で作付が制限されていたが、どうにか作付ができることになったとのこと。三瓶氏は5月10日前後に帰郷し田植えの応援に来るそうだ。

春爛漫の三春を後に磐越道をいわき市に向けて移動開始。自衛隊、警察、災害救援のトラックが目立つのみで他の交通量は極端に少ない。放射能レベルが低いので安心と理解していても原発から20km強を通過する。何となく胸にしこりが・・。しかし道路から見える風景には日常の生活が見える。ここで生活している普通の人々を思うと原発事故の重大性と罪を痛感する。

■ 今回の道行きのおわりに
支援活動を本格化させるための被災地の組織との繋がりを築くことと、被災地の現状を視察する走行距離1500kmに及ぶ道行きはこうして終わった。被災地のあまりに悲惨な状況に心が震え、一方で負けないぞとがんばる人々との新たな出会いに救われた思いがしている。いよいよ「遠野物語 in いせはら」が本格的に始動する。