トップ > 災害復興支援 > 陸前高田市 > お米や野菜を届ける

東北地方沿岸被災地支援活動

伊勢原市日向のお米や野菜を届ける

2011年12月3日〜5日、夏の活動で繋がりを持つことができた陸前高田市・堂の前仮設住宅を訪ねました。当会では伊勢原市の委託で谷戸田オーナー制度を運営しており、今年は耕作面積を広げ、オーナーさんに分配するお米のほかに支援米を生産してきました。オーナーさん、地元向上高校の皆さんの力でお米が収穫できました。今回、そのお米のほかに、寒くなってきましたので豚汁でも食べていただこうと、豚肉とネギ、ニンジンなどの伊勢原市の野菜も一緒に持って行きました。前回私たちが製作したベンチの上にそれらが皆さんの手で13世帯分に仕分けされました。喜んで引取っていただいた皆さんの笑顔が印象的でした。

今回も、日本財団のROADプロジェクトの助成金と赤い羽根共同募金のボラサポ支援金を受けての活動です。



仮設住宅に招き入れていただきました

12月3日から5日にかけて陸前高田市の堂の前仮設住宅に食料の支援品を届けてきました。8月の夏休み、高田松原の流木を活用したベンチ作りに陸前高田に赴き、その際に縁があってベンチを差し上げたのが堂の前仮設住宅でした。4棟で13所帯と小さな仮設です。ベンチは大変喜ばれ、早速空いているスペースに並べていただきました。その際に今後も我々が出来る範囲で何かお手伝いしていきたいと約束し、今回の支援となりました。

支援したものは、当会が運営を担っている伊勢原市の谷戸田オーナー制度で作られたお米と何か温かいものを食べていただこうと、豚汁の材料を持って行きました。お米は震災があったことから耕作面積を広げて準備してきた、オーナーの方や向上高校の方たちで作ったものです。

12月3日に愛甲石田の駅を朝早く2台の車に分乗して出発です。トランクと後部座席には支援品が満載でした。メンバーは旭硝子の方が3名と当会から2名の総勢5名でした。陸前高田には思いのほか早く到着することが出来、次の日の4日に支援品を届ける予定でしたが予定を変えて支援品をその日にお届けしました。

雨が強い中でしたが、仮設のリーダーの佐々木さん宅に支援品を運び入れました。運んだ後、仮設住宅に招き入れていただき「お茶っこ」になりました。佐々木さんはご夫婦で住まわれており、2Kの住宅でした。佐々木さん以外にも4名の方に集まっていただき、そのうちの男性の方から大変興味がある自然農法の米作りの話をお聞きしました。震災で田んぼが被害にあったそうですが自然農法を続けていくとのことでした。また、特に今、生活していくうえで不自由しているものは無いともお聞きしました。


皆さんとお茶っ子です。温かいコーヒーを頂きました



皆さんが集まり、ご挨拶しました


翌4日の朝8時半に仮設に行きましたが、我々が到着したときには皆さんが集まっており、支援品も広場に出されていました。最初に今回の目的を話し、挨拶させていただきましたが、佐々木さんからも丁重な挨拶を頂きました。


皆さんで仕分けです

前回作ったベンチに並べられました
前回、差し上げたベンチの上に支援品を皆さんで13世帯分に仕分けし、分配しました。内容はお米が10Kg、豚肉、ネギ、コンニャク、ニンジンなどたくさんの種類の野菜などです。皆さんには大変喜ばれ、今晩のおかずは皆一緒だねと言っておられました。


全員集合です。女性二人が野菜でピースしています。

ひと段落した後に中年の女性の方が話しかけて来られ、娘が大学生の時から伊勢原に居り、卒業後私(伊勢原市・石田)の近くの小学校で教師をされていたとのことでした。現在は結婚されて平塚にお住まいとのことです。仮設では話し相手と機会が少なく、誰かに話がしたいように思われました。みなさんの要望としてベンチが置かれているこのスペースに屋根を付けたいというものがあります。当会で作ろうとしていますが、行政の許可がいるとのことですので、許可を取っていただくように佐々木さんにお願いしました。次回は「あずまや」作りで訪問したいと思います。




草取りした大豆畑です



配布が終わった後、ボランティアセンターに行き作業の指示を受けました。強風のため午前中のみの作業とのことで大豆畑の草取りを行いました。場所は広田湾に近い小友町で依頼者は被災はしていないが農機具に被害があったとのことでした。周囲が大豆畑になっており、お話を聞くとここは田んぼであるが震災で農業用水のパイプラインが被害を受け、米作りが出来なく、大豆を作っているとのことでした。修復には何年かかかるだろうとのことです。海の方に歩いて行くとかさ上げされている線路にはレールは無く、堤防も大きな被害を受けていました。

翌5日は雪がちらついており、作業は止めて帰路に着きました。3月11日は今朝のような雪がちらつく日だったと宿の方がおっしゃっていました。




前回作ったベンチ、ニスが塗られ木目がきれいになっていました



8月から3ヵ月半ほど経っており、ベンチ作りを行った田んぼの流木は無くなっていました。町には重機が多く見かけられ、瓦礫の山には粉砕機があり、処分を進めているようです。鉄くずとなった車の集積場も小さくなっていました。仮設の商店も増え、復興が少しづつ進んでいるように見えました。一本松は残念ながら枯れているように見えました。

お世話になった宿に80歳の男性の方が一人で宿泊しており、お話を聞くことが出来ました。気仙沼で港に居た時に地震が有り、少し高いところにある自宅に戻ったところ津波が来て、流され、流れてきた屋根に掴まって命拾いしたとのことでした。また、風呂で一緒になった方は大人4人で2Kの仮設では生活するには狭く、空きを待って一人移ったとのことです。このお二人と仮設の方の生の声を聞くことが出来、今後も支援を続けていきたいと思った今回の活動でした。