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東北地方沿岸被災地支援活動

2012年3月に予定した支援活動のための現地調査

2012年1月7日から9日にかけて、陸前高田に出向き復興支援活動の調査をしてきました。仮設住宅団地のコミュニティー支援として交流スペースの設置が必須との結論に達しました。仮設住民だけでなく地域を交えた交流スペースとして「お茶っこサロン」が可能な建物を提供したいと計画しています。具体的には4m四方ほどの建物を間伐材を利用して建設します。

以下は調査に訪れた陸前高田の仮設住宅に住む人たちとの交流のレポートです。



今泉街道(343号)は雪景色


ループ橋


農免道路脇の高田町中和野仮設団地


高田町中田の田んぼ 8月に作業した現場 奥に桜の木が見える


脇ノ沢の海岸 防波堤の様子


堂の前の海岸(と思ったら脇ノ沢でした)にて 山口(な)


小友町の瓦礫集積場 道路わきに大きな樽が


小友町の被災現場 80cm直径のスギが折れている


長洞仮設団地(長洞元気村)


長洞仮設団地(長洞元気村)


堂の前仮設団地での集会 13世帯から皆さんが参加


大工のKさんの娘さんとお義母さん


Sさんご夫婦とご主人のお母さん


P理髪店のKさん


Kさん親子


Oさんは働き者


商工会勤務のKさんご夫婦


班長Kさん宅 おばあちゃんがいるはずなんだけど..。


自治会長のSさんご夫婦

7日 早朝伊勢原を出発、雪景色を見ながら東北道を北上、一関から今泉街道を一路陸前高田に向かう。8日の予定は伝えてある。いつもなら深夜出発 早朝帰宅という所だが理事長がお疲れ、降雪の状況如何によっては事故(もうこりごり)、というわけで日程に余裕を持った。                              










一関市大東町のループは観光名所らしい。                     気仙川流域の矢作川越え、渓谷越え、山越えをループ状に繋いだ通称「ループ橋」車中からはループが見えない。気仙川の支流、矢作川が分岐し二つの谷を越え山の中腹を巻く山岳街道の見せ場がループになっている343号線。











スタッドレスタイヤのお陰で難所を越え予定より早く陸高入り。明日のための下見も十分できる。まずは高田巡り。高台移転整備は8月から着々と進んで、高田バイパスの延長工事も進んでいる。懐かしい農免道路にそって仮設発見。中和野仮設団地だ。堂の前仮設の約3倍のサイズ、堂の前より1ヶ月早い入居、玄関には風除室、裏側には形ばかりの屋根が設置されている。住環境が整備されても何故かひっそりしている。「自治会がないから活気なねえ」ぼんやり歩いていた入居者がつぶやく。                  












8月の活動地はどうなっているのか。流木松の貯木場は撤退し、塩害対策の表土を削る作業が行われていた。変わらないのは桜の木。来年も咲かせて欲しい。               














広田半島長洞仮設にいかなくちゃ。堂の前仮設を横目に見てあえて海岸に下りる。防潮堤の瓦礫が放置されている。一部仮設の防潮堤が作られていたが気の遠くなるような作業だ。














何故海岸から僅かな距離の堂の前で被災しなかった家があるのか。前から気になっていた。真下で記念写真を撮った。謎は解けない。原因は海底にありそうだ。背後の38号線は手付かず。瓦礫集積場と化した小友を走る。














昭和34年から始った広田湾の最奥部にあたる陸前高田市小友町三日市の干拓事業は翌年のチリ地震で堤防が決壊。改修事業により3.11直前まで耕作されていた。

3.11地震津波が広田湾の東側、西側を襲い半島は一時陸の孤島と化した。

今後は干拓から干潟へ変換、湖沼、市民の森、オートキャンプ場モビリアと連動した観光地を目指す計画とか。
冠水田んぼに悠々と泳ぐ水鳥を別れ長洞に。地盤沈下した道路は田んぼと区別がつかない。

記録によればアップルロードが延長されて悲願の主要地方道大船渡広田陸前高田線小友工区が2010年3月25日に開通したとか。東海新報が「新ルート四・二キロの全線開通を祝った。物流促進、観光地へのアクセス向上、救急搬送の時間短縮が図られるほか、津波など災害時の代替路線として多様な役割を果たすものと期待されている」と報じている。

ここもチリ地震で翌年被害にあった。三途の川の石積みに似て全て流されてしまうのか。いや流されても流されても豊穣の海を信じ、人間は何時の時代も石を積むのだと考えたい。
   

                                      







半島の東側方向に車を走らせると、「長洞元気村」の看板があった。26世帯、堂の前の2倍の世帯数が4箇所の狭量な空き地に軒をならべている。集会室、流木の小さなデッキ、赤提灯の横丁、雨よけの大きなひさし。手作りの住環境改善作業は決してキレイとは言えないが、ひとつ、ひとつに意味を持っている。

「津波の惨状を知れば知るほど「一人では生きてゆけない。」誰もがそう思ったに違いない。食糧やガソリンの確保・不明者の安否確認そして集落内の民家に分宿。長洞集落自治会は地域一丸となって震災に立ち向かう。長洞元気学校を開校、市(行政)に用地を確保したうえで仮設住宅建設を要求、成し遂げてその仮設住宅団地を”長洞元気村”と呼んでいる。10年後20年後を見据えながら長洞復興計画づくりに取り組んでいる」(元気村公式ブログより)
                                     







すっかり身体が冷え切った頃懐かしい霊泉玉乃湯に到着、夕食、入浴を済ませ明日の打ち合わせと仮設生活の住環境改善の意義と住民合意への誘導プログラム作りもしなければと気持ちは焦るが、旅の疲れかそこそこに眠りについた。               



8日 冴えた頭にレジュメづくりが完成。13人分のコピーが欲しかった。玉乃湯にはパワーポイントが無い。山十文房具店ダメ、思いついた災害ボランティアセンターが大当たり。無料でやってくれた。弁当屋で、できたてのカツカレーをほおばる。(カツはゲンかつぎ) 時間が迫る。

約束の10分前に住民は集まり始めていた。自治会長のSさんの計らいで部屋を提供して頂く。奥さんは本当に気が回る。よく働く人だ。名前、年齢、元居た住所、家族構成、仕事、健康、交流、希望・・・アンケートに答えて貰う形で進めた。(国勢調査じゃないよ)上手く喋れない人も多く、他の人が答えたり質問したり。なかなかいいぞ。男より女のほうが感情がもろに出て胸を打つ。殆どの人が堂の前の住民だが気仙町、小友町の人もいる。
家族3人を亡くした大工Kさんは亡くなった奥さんのお母さんが残された女の子2人のため気仙町から移り住んだ。気仙町金剛寺が倒れた松の木の一部を送り成田山新勝寺のお炊き上げで使ってもらったという、五山の送り火放射能騒動とごっちゃに報道されたあの金剛寺の下にすんでいたらしい。高台に上り津波を逃れたが眼下の光景が今でも浮かんで目が覚めると。「辛いです。助けられなかった。恐ろしかったです」トーンが上がり泣き出した。「ゴメンナサイ、泣いちゃって」私が「泣くよう!誰でも」と変な合いの手を入れると「今日からもう泣きません。かわいい孫のために生きます」今度は私が貰い泣きした。Kさんが初めて口を開く。あの日は大船渡にいて助かった。自宅に電話を入れたが出ない。あくる日何とか道を探してかけつけた。脳性麻痺の兄貴を車椅子に乗せ逃げた女房、母親は逃げ遅れた。一緒に逃げた長女はかまわず逃げろと言われ秋葉神社まで全速力で逃げて助かった。遺体は見つかっていない。3月には届けを出そうと思う。墓石も倒れたままなんだ。
それからひとしきり津波の話になった。浜に近いと防潮堤が遮り迫る津波が見えない。逃げ遅れた人も多い。防潮堤は高ければイイ訳じゃない。逃げ道の確保が大事とか。                                    
長洞仮設に見る仮設コミュニティづくりに移る。他の仮設の状況は以外と知られていないのではと、長洞元気村HPから10ヶ月の歩みを紹介した。仮設入居はくじ引きとの情報に危機感を持ち避難所住民全員の入居こそ長洞再建の原動力と、土地探し、地主の合意、仮設の配置等本来ならば高田市職員がやるべき調査を住民が行い、50世帯以上の仮設を基準の集会室建設を談話室と言う名で設置させたことは見事。危機感が住民自治を押し上げたこと。連続したひさしが赤提灯につながり男達の持ち寄り酒場コミュニティになったこと。
「長洞のことは知ってる」自治会長が続ける。年明け早々にやるはずの風除室ができない。市役所に言ったら業者の問題だと言う。「間を繋げるのがお前の役目だろ。目の前で電話を掛けろと」言った。すぐ材料が来た。業者は来ないつもりなのか。高田市役所を円満退職したSさんが、市役所は何もしないと。
3月に予定している堂の前お茶っこスペースは岩手県から申請書を貰い面倒くさい手続きを踏んで3週間後にOKがでるらしいと伝える。黙って作っちゃおか。Sさんがすかさず「元々県がやるべき仕事を民間が進んでやろうとしているのに許可なんかいらない」あとで首都圏計画研究所の濱田甚三郎氏に問い合わせると「許可をとれなんおかしいですよ。長洞は勝手ににやったんです」                      
携帯が鳴る。Pさん(理容店)お客さんか。佳境に入った話にしぶしぶ席を立つ。「長洞は贅沢じゃないの」外からの支援が集中しているからか。「長洞の10ヶ月は悔しいことばかり。元気な長洞を後押ししたのが全国から支援。マスコミの取材も仮設の問題点を報道した。堂の前地区住民がこの仮設に入居できたのも少なからず長洞の影響がある。彼女は立ったまま聞いてくれた。    
今まで黙っていたお婆ちゃんがひっそり言う。仮設にいれてもらったから文句は言えない。
最後にやっと出た大切なテーマ。皆さんは地震津波で家族を失い、家を失い・財産を失い、住み慣れたまちを失った。人並みの暮らしを仮設住宅に求めるのは生存権を与えられた人間の権利です。(健康で文化的な最低限度の生活・・・基本的人権)被災者はお情けで仮設に入れて貰ったんじゃない。我慢していたら爆発するか自殺するかしかなくなる。お婆ちゃんと同じことを考えていた人も安堵の顔に変わった。
3時間の濃厚なミーティングが終った。どんと祭(15日)の団子に使ってくださいとSさんの奥さんに話してあった上新粉を渡した。谷戸田の砕け米約30キロ分。こんなに沢山!どうすんの。草団子とか鍋ものとか。女の腕の見せどこでしょう。Sさんの顔が引き締まり、鍋を持ってこさせて分けてくれた。必ず作ってよ。写真送ってよ (半ば押し付け)後日きれいな奥さんと呼んでいるSさんから写真が送られてきた。いい顔してね、私いったのよ。いいでしょうときれいな奥さん。来年は秋葉神社で虎舞と一緒に奉納だ。

9日 帰路、住田町を抜け遠野まごころネットに立ち寄った。当日は休日だったが事務局会議の合間をぬって、事務局長斉藤氏が会ってくれた。大槌、長部のまずまずの成功の裏には様々な障害があったらしい。経験を踏まえたアドバイスを貰った。        _樟濟抉腓砲茲蠍遊て住民との間に隔たりをつくっている現象が起きている。支援活動が格差を生まないための工夫が必要。
仮設はいずれ閉鎖される。仮設にいる期間はまちまち。お茶っこスペースを仮設住民と戸建て住民との交流スペースに位置づけ、仮設閉鎖後を視野に入れた地域づくりの基盤を作ったらどうか
H、田んぼ作りを仮設住民の共同作業と位置づけても参加する人は一部、粘り強いアプローチと緩慢な進捗を覚悟
ぜ然農法は従来農法と乖離する結果喧嘩が起きる。共同作業によるコミュニティ作りを目指すには半日百姓体験の方がイイ。できた野菜をみんなで食べて交流できる。
ゥ灰潺絅縫謄づくりのメニューは百姓体験とは限らないはず。住民のアイディアを優先                                        斉藤氏は風邪気味の身体を押して見送ってくれた。「3月上旬には足湯隊を送り込みますよ」

後日談
仮設班長のSさんから近況報告が入った。風除室が出来上がって皆喜んでいるとのこと。近々反対側の洗濯干し場に小さな屋根が付くらしい。              失業保険をあてにせず、ご主人はガス屋に彼女は銀行に就職、83歳の母が留守を守っている。仕事があってうらやましいと言われるたびにしぼんでしまうと言う。避難所暮らし時高台の農地を譲ってもいいよ言われ即決した。「全ては母のため、無念の一生を終わらせたくない」一番早く仮設を出て行くこと、一時みんなに会えなくなる事が悲しいと涙。おちゃっこスペースの利用者一号は鈴木さん一家かもしれない。
どんと祭の団子を皆作ったよと写真を送ってくれた。
家族ごとに詳しいキャプションが加えられていた。

爪に火を灯すように溜めた貯金でパソコンを購入、これから学ぶと言う。被災者・支援者の壁を越え、交流の深みを味わえる日も近い。